バターになっちゃうよ

いつまで遊んでいるつもりでしょう。

しょうもない分かり切った事を話題にしたり考えたりして、時間を無駄にするのはもうやめませんかとつくづく思う。良くもまあ飽きないものだ。さては成長する気が無いし、もはやそれをやれば必ず得られること請け合いの安易な満足感の湯に浸かりきり、感性もぶよぶよにふやけて抜け出せないのではないか。嫌韓の話です。

私はとっくに飽きました。もうほんとうに興味が無いです。いつだって話は膨らまないし、またかー、やーねー。だけで終わってしまうのですから、楽しくもなんともありません。反日活動をしているからけしからんと言うけれど、あの調子で本当に彼らが何かを成し遂げるでしょうか、私には到底そうは思えません。海外で日本人の子供たちがいじめにあっているのが許せない、そんな親心には共感しますが、その解決方法がウェブ署名でしょうか、私には甚だ疑問です。子供たちの件で言えば、謂れなき理由でいじめられた子供に対して、そんなことを言われる筋合いはひとつもない、日本人であることに自信を持って、そのような浅知恵で早とちりの友人達とは深く付き合う必要はないとかなんとか、言い方は良くわかりませんが、言ってあげられない親がいたらどれほど子供が不憫だろうかということのほうが私は気になります。学校では辛いかもしれませんが、親さえ味方でいてあげられたら救われるはずです。そこで親が戸惑うようでは本当に不憫ですが、それは反日活動が悪いのではなく、親が残念だという国内の過去の教育問題や個人的不勉強に関わる話です。韓国けしからん以前に、どうせ言い返せないだろうと思わせた日本人が情けないではありませんか。

私は食べることも料理をすることもとても好きで、なるべく出所のはっきりしている自然のままの綺麗な感じのするものを食べたいと思っているのですが、それは長生きしたいからとか健康でいたいからではなく、それが全て私の血となり肉となるからです。安い食事ばかりしていると安い身体になってしまうような気がするのです。値段の事ではなくて、意味は同じですがチープと言ったほうが感覚的には近いかも知れませんが、食べ物に価値を求める質なんです。ただべらぼうにお金を掛けただけの食事にも価値観の尺度の欠落という寂しさを感じ、どんなに高額でも私の中では同じくチープに分類されます。そしてチープな肉体にはチープな精神しか宿らないような気もしてしまうんです。

食べ物だけではなく、言葉もそうです。日々どんな言葉に触れるか、発するか、それはとても大切な事です。知らず知らずのうちに、自分を作ってしまう要素だと思います。情報として目を通す必要性のあるものはカレーライスの横っちょに居る福神漬けみたいなもので(福神漬けファンの人を悪く言うつもりはありません)、メインとして心から味わって咀嚼して自分という物体を構成する物質のひとつとするような言葉には、もう少し手間や愛情が込められていて欲しい。食事がただ空腹を満たし舌を喜ばせるためだけでないように、文章や、音楽、芸術、そういったものにも価値を求めるのはごく自然なことでしょう。小学生のころから読んでいた漫画雑誌だけでいつまでも満足してしまう事をひとつも疑問に思わないとしたら、まあそれはそれである意味幸せかも知れませんが。

お気楽に茶化しているだけのつもりでも、慣れ切ってしまうといつしか全く同じことをされますし、それを自分だって楽しんでいたのですから文句を言う資格などあったものではありませんよ。茶化すことすらしない、相手にしない、そもそも相手ではない。それぐらいで丁度良さそうな相手に対して、本気で怒ってこっちのほうが偉いと言い張るようでは、まずそんなに偉いようには思えませんよね。最後には全然関係ない誰かさんにホットケーキをご馳走する羽目になりますよ。