一目惚れが気のせいなら自惚れも大いに気のせいって言うかそっちの方が酷い。

自分の知っていることを、相手も知っていると思ったら大間違いですよ。

特別何についてというわけではないのですが、つまり物事の全般に言えることでもあるわけですけれど、本当に世の中には様々な考えの人がいるんですよね。こんなに当たり前のことを、なぜか忘れてしまう時がある。不思議ですね。そして認識や思考が違うということ自体には、なんの罪もないし優劣を決めるわけにも行かない。That's itとしか言えないんですよね。私は以前、情報リテラシーがどうしたとか言って、あんまりにも物事だとか世の中の事情に疎い人をどこか残念な目で見つめてしまう頃があったのですが、今はもうそんな風に考えちゃいけないんだと思うし、私が余計な知識を探している間、向こうは余計になにか楽しい別の方法で時間を潰している。その違いがあるだけの事で、お互いの生活をとっかえたらそれは大変な不幸でもある。人間にはそれぞれ、できることしかできないんだと思います。そしてできることを増やそうとしたら、本人がそうしようと思う以外に方法はありません。

昨今の悩み事として、正論をぶつけても修正主義者のレッテルを貼られてしまうというのがある。修正ではないんだ、今迄のものが間違っていただけなんだともどかしく感じる人が大勢いるでしょう。しかし修正主義者は英語ではRevisionistと書きますが、字の構成だけ見ればVisionを再構築する人というふうな事ですから必ずしも後ろ向きなばかりの存在ではないように思えますし、実際にHistorical revisionismが常に正しいとか間違っているとは限らないが、歴史は時代の流れに従って新たに検証され実証されそして修正されてゆくものであるという認識はむしろ日本よりも欧米諸国のほうがごく一般的に存在していると言って語弊は無いでしょうか。

そうは言ってもどうしても踏み込んではならない領域というものがあって、今迄これこれこういうテイで皆さんよろしくお願いしますねと言って示し合わせていた基本設定を覆すような事実をいきなり引っ張ってきてしまうと、当然全力で潰しにかかって来る人が必ず現れますね。都合が悪くてしょうがない、それを言っちゃあお終いよと言う状況にいきなり持っていくような乱暴は許されない。空気読めよと言われてしまう。心は正義の味方でも、物事の順序とか秩序と言うものを考えて行動しなければただの迷惑な奴になってしまうでしょう。清く正しい自分さえ勝てれば良いのか、そうではないはずです。いくら真実に基づいた行動であったとしても、それで誰かを負かせば必ず恨まれて仕返しをされます。ゼロサムゲームを永遠にやり続けるなんてまっぴらごめんです、そこをどうにかWin-Winに持っていく工夫をなぜしないのでしょうか。

そうかわかったぞ、さては鬱憤を晴らしたいだけか。それなら私とお話することは何もありません。だけど私の考え方ではどうも、結果を出すには恐ろしく時間が掛かってしまいそうで困ったものです。何かを変えようとか動かそうと思うからしんどいのは分かっていても、ただ傍観してああだねこうだねとわかったような口を利くのはどうも面白くない。つまり困りたいんだ。困りたくて困っているのだから、問題ない。

何が言いたかったのかよくわからなくなってきましたが、ゆっくり恙なく修正をして行ける方法をもっとみんなで一緒に考えましょう。修正されているなんて気付かなかったけどあら?いつの間にか暮らしやすい世の中になったわあ…と、世界のだいたいの人達(全員ではない)が言えるような時代が来るべきです。上手にバランスを取って、誰かが独り勝ちすることは無いけど、誰もがそれぞれ素晴らしい。おっと、ゆとり教育ですかと眉をひそめるなかれ。これはプロアクティブなスピリチュアル。しばらく、これがテーマです。では、すめらぎいやさか。