美味しんぼ騒動を若干楽観的かつ前向きに考えてみた

雁屋哲氏原作の「美味しんぼ」が純粋なグルメ漫画などでは無いことを何年も前から知っていた人は多いはずですが、今日たまたまランチで入ったお店に1995年出版の46巻が置いてあったのでパラパラと目を通してみて、あまりにも簡単に問題アリな頁を発見することに成功してしまい拍子抜けしてしまいました。

ちなみにこんな内容です。

f:id:tairayo:20140513014843j:plain

改めて読むと酷いなあと思いますが、特別驚くことでもありません。物事の正誤の判断がまだ十分できないような子供が読む「はだしのゲン」なんかに比べたら読者の年齢層は高いわけですから、読者各位で水に流すなり鼻で笑うなり洗脳されるなりの勝手が許されますし、おおかた良く居るタイプの残念な団塊世代の一例としておおらかにスルーされるという恩恵に長年預かって来たものだと思いますが、今回遂に超えてはならない一線を超えたと言えるでしょう。原作者が鼻で笑われるだけでは済まないのですから。あぐあぐ…あぐぐぐ…

放射能ヒステリーの人々に対して、冷静な人々はすっかり興味すら失っていた今日この頃だったのではないかと思いますが、これで堂々放ってはおけない存在に返り咲きました。月刊正論5月号と6月号に上下に分けて掲載されている小川榮太郎先生による「反原発文化人への手紙」という原発事故以降のあらゆる問題点を鋭く的確にかつダイナミックに考究した論説があるのですが、小出裕章氏が有名になるきっかけになったと言っても良いはずのベストセラー本『原発のウソ』(扶桑社新書)を例に挙げるなどして、”危険性といふ概念を異常に増殖させてゐる一群の人達”についても書かれていますが、雁屋哲氏は今回見事その仲間入りを果たしたと言ってよいでしょう。

そうは言っても原発事故が起きた当時の民主党政権の惨憺たる対応ぶりは今も記憶に鮮明で、もう政府を、国を、信じられない!という強烈なイメージの上に曖昧ながらただただ危険であるという刷り込みが成された結果、冷静な判断ができなくなってしまった人々がいる事については、不憫としか言いようが無い。小さな子供でもある家庭ならば尚更、念には念を入れて思い込みに走っても不思議ではないし、子を思う親の気持ちを頭ごなしに否定しようとは思わない。親というものは子供の理解を超えるほどの心配を当たり前にするものだ。

では今の安倍政権において、放射能に関する公正な情報を日本国民へ向けて開示するための十分な働きかけがされているかというとそれも些か疑問で、首相官邸のホームページに東電福島原発放射能関連情報のページは設けられているものの、そのページを目ざとく日々チェックするとしたら、それこそ放射能を怖がってあらゆる情報を信じることができない人達が何か荒探しでもするためかも知れないと考えてしまう。

結局のところ、暴走した危険イメージを食い止めるという点においての最終的な決着がついていないのが現状で、それを強引に推し進めるきっかけと成りうるのが今回の美味しんぼ騒動なのではないかと言ったら、少し乱暴かも知れないですが、ツイッターやブログであらゆる名もない一般の個人が流布してきた行き過ぎた危険論に、世間の目に見えないところで逐一「放射脳」のシールを貼って歩いたところで埒が明かないまま今に至っている中、これを全国的知名度のある漫画が総括することによって焦点がひとつに定まる。この先、社会全体が「美味しんぼ」で描かれた福島の現実は間違っているという完全な回答に辿り着いた時、その暴走は単なる珍走へと姿を変え、もう恥ずかしくて誰も放射能を過剰に怖がる行動はとれなくなるのではないか。

 今回が初めてではないけれど、何かけしからんと感じるような出来事があった時、私はいつもチャンスだと思うことにしている。けしからんことが起こってくれないと、そのとんでもなさや理不尽さが中々世間の人に伝わらないことも多々あって、特に歴史観や民族性が関わることとなると、ぐだぐだとした説明よりも象徴的なエピソードやハプニングひとつが役に立つ。しかも今回、一般的な理解を得るのに困難な過去の日本の歴史などについてではなく、今現在生きている福島の友人達を貶める行為なのだから、今までの事例よりも素早くしかもリアルな実感と共に浸透するのではないかと想像する。またその実感は憤りや怒りといった負の感情であり、ヒステリックな恐怖心が広まったのと同じように容易に人々を飲み込むことも起こりうるはずだ。

これまでの姿勢を見る限り、雁屋哲氏が意図的にヒールを演じようとしているとは到底考えられませんが、小学館はどうでしょうか。この恐怖に我を忘れ暴走する混沌とした世の中に自らが身を投げ、ラン♪ランララランランラン♪と歌う…としたらそれは徳間書店のほうが適役かもしれませんが真相はわかりませんし、なんであったにせよ、これでやっと終われるかもしれない。そして、やっと実りある議論をする準備が整うかも知れません。そう願っています。すめらぎいやさか。

今日の参考書:

正論 2014年 06月号 [雑誌]

正論 2014年 06月号 [雑誌]

 
正論 2014年05月号

正論 2014年05月号