だいたいの感じで真剣にやる

あの3年ちょいで、我らは文句を言う事にだけは物凄く慣れた。売国奴コノヤロウと罵るのが日常茶飯事だったもので、今は無意識に少し物足りなさを感じてしまって、政権の中枢に売国奴がいてくれないとやり甲斐が無いと思っていたりして。はたまた権力者は売国行為をする方が通常であるかのような気になってしまったり。そこまでとは言わなくとも、まだ少し切り替えがうまく行かない部分があって然るべきかも知れません。それほど酷い3年ちょいでした。

有識者会議や専門調査会と呼ばれるようなものの顔ぶれにご不満をお持ちの方も多々いらっしゃると思いますが、ひとりひとり掻い摘んでほうらこの人物はこのような腐れ左翼であーると晒したところで、その人物が生きて来た中心の空間が紛れもなく日本国であり、その人物を形成した社会があり、その人物なりの生活基盤と言うものがある上で、どのようなイデオロギーに傾倒して行ったかを、今突然追求して一体何になるのか。悪口やいじめとなんら変わりは無いのではないか。それとも左翼イデオロギーに染まっていない人間はより清く正しく美しくて偉いから何を言っても構わないのか、そうではありませんよね。批判をする事に意味がないと言っているのではありません。しかし批判をするだけではやはり、例えば有識者会議に呼ばれるほどの意味を持ちえない。批判をしたら、それがなぜ間違っていてではどうしたら良いと思うかまでを述べないと取るに足るべき文脈として成り立たない。逆に言えば、そこまでできる人がもっと増えたら心強いし、やっている人がまだまだ少ないのだから挑戦する価値は十分ある。文句を言って抗議をするだけの簡単なお仕事だった時代とは違い、今は豊かな成長を必要としているのだから仕事が増えるのは仕方がありませんが、楽しいではありませんか。苦にならないでしょう、楽しければ。

あの時代では審美眼を養うような余裕を持てた人は少なかったかも知れません。私だってそうです。だけど今は、少し違うものの観方をしなければと日々感じています。それから何度も言っているかもしれませんが、慣れは恐ろしい。私は日常の中で時々「ま、だいたいの感じで」と言って物事を済ませる時があるのですが、その「だいたいの感じ」を慣れ合いの惰性で行ってしまうとつまらなくて魅力が無い。だから、だいたいのようで実はだいたいじゃなかったりするのですが、良い意味での適当さは上手に活用していかなければならない。だいたいのことを適当にこなせるのは、掴むところをきちんと掴んでいるからなんですものね、難しいですね。

ここぞという大切な場面でだいたいの感じでぱっと取ったかのような行動や一言こそに、実力の差というものが露呈しますよね。本当に物事というものは言い様で、同じ理想を持っていてもその持って行き方次第で結果が物凄く違う。コツのようなものがもしあるとしたら、はやり人間同士のやりとりですから、どんなに憎たらしい相手でもまずは喜ばせる事を先にやるべきなのではないでしょうか。なるべく「先」にやることが重要です。褒められたり気遣われたりして怒り出す人はあまりいないし、内心参ったなあと嫌悪感を抱いたとしても言い辛い。そういう事を、自然な振る舞いで笑顔でやってのけるのが、本当におっかない人なんではないかと思いますね。いや、おっかないと言ったら語弊がありますから、デキる奴とでも言いましょうか。

しかし真面目すぎたり正義感が強すぎたりすると、中々難しいんですねこれが。我を張りすぎるのもダメで、昨日の続きじゃありませんがああ言えばこう言う、正しい事は正しいんだから自分は悪くない!と言い張るような、要するに子供っぽい人にはとても難しい所作ですが、大人には大人の遊び方というものがありますよね。性的な意味ではありませんよ、ああわかっていますねすいません。年齢に関わらず子供の人というのは、自分のことも相手のことも良く分からないし分かろうともしなかったりしますね。それが大人になると、もっと人間の本質を理解し始めて上手にコントロールすらできるようになる。ずる賢くなる必要は無くて、意外と素直に、しかし機転を利かせて皆がなるべく楽しくなるようにやればだいたいの事はうまく行くような気がします。 人は意外と、だいたいの感じで好き嫌いを決めたりしますしね。では、今日はだいたいこんな感じで終わっておきます。すめらぎいやさか。