晴耕雨読な気分です

今日は必ず落胆するので、フェイスブックはなるべく見ないようにして代わりに読書をしていました。決してそんな事はないはず…と言いたい気持ちは山々ですが実際に目に映る現象として、私が音楽畑に身を置いているばっかりに数多く遭遇する落胆というものがあります。戦争に対する浅はかな認識です。

集団的自衛権の解釈変更が与野党の合意を以て予定通り閣議決定されました。そのことで右も左もわいわい言っておりますが、社会の出来事について述べる事がレジャーの一環でしかない人々にとって、戦争が平和がと文言を並べ立てたところでそれは結局他人事でしかないのです。論調によって趣味の異なるアクセサリーのようなものです。

議論にすら成り得ないオハナシが何か仰々しいシュチョウとして掲げられる事に本当にもうウンザリです。こんな風に片仮名ばかり使うと私を左翼の人だと信じ込む人が居そうですが、それぐらいの単純ミスの連続で盛り上がってしまうのが今の私達のレヴェルです。

今日読み終わったのは、長谷川三千子先生が三十代後半の頃に出版された処女作「からごころ-日本精神の逆説-」と言う本ですが、ここにはこの先の議論を進めるヒントが数多く散りばめられていました。まだ一度通読しただけで咀嚼しきれていない部分もありますのでいきなり多くを語る事は避けたいと思いますが、一つ断言できる事として、もう少し悩んで考えてあっちからこっちから物を見てみて苦しまないといけないという事です。改めて言うほどの事ではないのですが、それにしても精神的に或は思想的に楽をし過ぎではあるまいか。そして、根本から疑うという事も必要です。普遍的な価値だと信じて疑わなかった世界平和。世界の平和。世界とは一体どこを指すのか、どのようにして成り立っているのか、どんな歴史を辿って来たのか、その世界にとっての平和とはどういう状態で、もしもそのようなものだと思われる状態が現実に存在するのであれば、その状態に付随する条件とは何か、裏側はどこか、実現は可能なのかどうか。そもそも私達の思う普遍と、世界とやらが認める普遍に実は隔たりがあるんではないか、言わないだけで、本当は分かっているでしょう。

ちなみに、いざ戦争をするとなったら相手は当然日本人ではありませんね。でしたら日本人的準備の仕方では対応できないと考えるのが普通ですね。そしてそんなことはもうしたくないと願っているのならば、日本人お得意の見て見ぬふりや忘れたふりやもやめないといけませんよね。

そうは言っても、晩酌のあてになるかならないかぐらいの話で満足する人が大多数である事そのものには何の罪も無い。満足しない人達だけが、悩めばそれでいいですね。あら、結論が出てしまったし時間も無くなってしまったので、今日はこれまで。すめらぎいやさか。