明日からまた頑張ります

最近実は新しいことを始めました。作詞の仕事は今迄通り、いえ今迄以上にやりますが、それに加えて10年後以降の生活設計に備えてまずは2年ばかし腕試しと決めて意気込んでおります。好きなだけでは中々仕事にできない大変さは音楽で十分味わってきましたから、回り道などせずにロイヤルストレートフラッシュを出す心算で頑張りたいと思います。

数えていたわけでは無いのですが、あと2年すると私は作詞家として仕事をし始めて丁度10年になります。まあ10年間みっちりやってきたわけでもなく、事務所と契約したのは昨年末でそれまでは全くのフリーランスとしてのらりくらりとやってきましたが、意識した訳でも無いのになんとなく自分の人生におけるバイオリズムの節目を感じ取ったのかも知れないなあ、なんてことを後から思ったりもしました。

ひとりひとりの人生にリズムがあるように、地域や更には国家にも、詰まりは地球にだって、そういったものがあるのだろうと思います。色んなサイズの栄枯盛衰が同時進行で営まれていると思うと、見つめる対象が「栄」「枯」「盛」「衰」のどの部分を生きている最中なのかと言う事も気にしないといけないですよね。「枯」や「衰」の状態である時期は寂しいようにも感じますが、それが無くては「栄」や「盛」へ繋がらない。それなのに例えば「枯」の時期に「盛」を求められたら、とても辛いですよね。

デフレにも恩恵があるといったような論調を、どうもただ後ろ向きだったり小さくまとまってしまっているだけのような気がして、以前の私はあんまり芳しく感じていなかったのですが、言わば「衰」にあたるこの時期にしかできない事や見えない物というのがあるでしょうから、ここは言い方ひとつなのかなと今では思えるのですが、やはりそう主張していた方々は今思い返しても多分に後ろ向きだったように思いますね。どうせ私達日本人は…という自虐のスタンスだったからきっと嫌だったんですね。低迷期こそ、上を見上げてせめて気持ちだけでも元気でいたいものです。

低迷と言えば、少子化の問題。人口が減るという事は当然労働者が減ってGDPの規模が確実に縮小しますから、世界第何位かを保てなくなってしまうと言って大変な危機であるといったようなことを仰る方もいますが、日本列島が人口減少を経験しているのは何も今回が初めてではなく、減少してもその後にまた盛り返して今日まで続いてきた事を思うと、また経済規模の世界ランキングを保つことがそもそもどれほど重要なのかと言う点からも、人口が減少傾向の真っただ中であるという事はただ純粋な事実として捉えた上で、おかしな手帳を作ったり無駄に支援するのではなく、緩やかに成長してゆくことを見据えた上でそれなりの身丈に合ったなるべく快適な暮らし方を考えれば良いのではないかと思います。

そうそう、おかしな手帳が話題になった頃は、政府主導で出産を支援する事に嫌悪感を感じて、誰も国のために子供を作るわけではない、自分達のためだ!といったような反論をしていた方々を散見したのですが、確かにあの手帳はおかしかったですけれども、本当に自分達の事しか考えていないんだなと哀しくなりましたね。「国」と言うものに、一種のアレルギー反応を示す方々が根強く残っていて、全く不思議でなりません。国から何か物申されるのは絶対に嫌なのに、この国は一体何をやっているんだと言っていつも叱るんですよね。そういうあなたは一体何をやっているんですかと逆に聞き返したくなりますが、ああいった癖と言うか、一旦道筋がついてしまった思考回路は一生治らないのでしょうかね。そんなに国が嫌なら日本のパスポートをごみ箱へ捨ててゴムボートでぷかぷか浮いて暮らしたらいいと思います。

気に入らない事はたくさんあるけれど、私はやっぱり幸せ者だと思います。しかも気に入らないことのだいたいの彼是は、2号徳利3本も空ければどこ吹く風と言ったようなものです。空けすぎか。

今日は久しぶりの完全なる休日だったので、大好物の鰯を下して刺身にして食べます。安上がりなご褒美ですが、私にとっては一番のご馳走です。もちろん、徳利とお猪口も冷やしてあります。では、今日はこのへんで。すめらぎいやさか。