呼吸と人格

これは持論だが、呼吸に音が乗って発せられる声というものには、人格が映し出されると思う。また声色というのはとても繊細で、いつも接している人のちょっとした心情を声から察するなんてのも良くある事ですよね。

どうしてか不快な声というものあって、例えば悪い人では無いと分かっていても、はたまた素晴らしい経歴や肩書きの持ち主でも、声に違和感を覚えてしまうとどうもいけない。元気が良ければいいというものでもなく、逆に静かでもしっかりとした芯を感じる声というものある。

私が不快に感じる声というのは、音量、つまり息の量が不安定なのに、強く通そうと言う心理が伺えるような声です。以前カレッジでオペラの授業を取った時のトレーニングで、「う」の発声で息を一定に細く永~く出す練習として、目の前の蝋燭の火を消さないようにだとか紙の切れ端を壁に添えて息でなるべく長時間固定させるなんて事をやらされたのですが、とても集中してやるし普段は意識しない息のコントロールをする作業がなんだか精神的に落ち着くもので、嫌いではなかった。息を安定させると言うことは、気持ちを落ち着かせることに他ならないのでしょうね。

もっと単純に考えてみても、声がやたらとデカいやつと言うのは大抵ウザったいでしょう。人の話を最後まで聞かないででっかい声で遮ったりして音量で押し切るし、自分でそれだけの音量を出していれば、他者の心理を読み取る能力としての耳も悪くなってしまうのでしょうか、会話をしていてもちっともこちらの声が届いている気がしない。声や言葉の質より量で有無を言わさず納得させようとする意志であったり、自分を大きく見せようと言う気持ちの表れでもあるでしょう。またストレスが溜まると大声を出したくなったり、カラオケで無茶な歌い方をしてみたくなるのは、自分勝手にはちゃめちゃに精神を解放したいと言う欲求なわけですから、普段から声がデカい人というのは、少なくとも相手に細やかな心遣いができるような雰囲気とはちと遠く良くいえば豪快で、悪く言えば自己中そのものです。

女の子は特に良く居るかなと思うのは、ちょっと声を作っているような人。ぶりっ子とまでは行かなくとも、場面や対応する相手によって声色が変わったり、平時と酔った時の声が違うとか、声色そのものは変わらなくとも語尾の調子に変化があったり、鼻腔に共鳴させる息の割合が増える(これを世間ではぶりっ子と言うのでしょうか)といった具合に、女子というのは絶妙に声を使い分けるのですね。おっかないですねえ。ですが声を作るということは、大袈裟に言えば素の自分を偽ることでもありますから、精神衛生上あまり癖にしないほうが良いように思います。ちなみに私が鼻腔共鳴を多用する場面は、混雑した居酒屋で一声で店員を呼びたい時です。バシッと通ります。

健やかな身体に健やかな精神が宿るとも言いますし、安定した呼吸で暮らすことは安定した精神を育むに違いありません。自分自身がそういった呼吸を心掛けると同時に、人を視る時のひとつの物差しとして、呼吸から分析するのも有効だと思います。今日はここまで。すめらぎいやさか。