秒速でいくら稼ぐかとか割とどうでもいい

自己啓発本に次いで私が毛嫌いするものと言えば、ハウツー本です。何か目的のためにどうしても必要な技術や知識を得るためのハウツーではなく、努力を惜しみ近道をして楽をしてうっかり人より得をする裏技をこっそり教えちゃいますよみたいな精神の薄汚いノリのハウツー本ですが、そういう心持ちで暮らしている事自体が成功を阻んでいる事に気付けよと心で叫ぶものの、実際に人に告げた事はありません。意地悪で。

デフレスパイラルが渦巻いていたころは尚更だったと思うのですが、人と違う事をして自分だけのやり方で尚且つなるべく短い労働時間でより多くの利益を出す事こそが素晴らしいと言う風潮は今もあると思います。さらっと聞けば楽そうだしお金はあったほうがいいに越したことはないしとても良い事のように思えるのですが、では生きるとは一体なんだろうと思わないのだろうかと疑問に感じてしまうのですよ。

大人になれば生活時間の多くを働くことに使います。その時間が、ただお金を稼ぐためだけの時間で良いのでしょうか。自分が食べて遊んで暮らすために働き、遊んだらまたそれを我慢してお金を稼ぐ、その繰り返しが働くという事だろうか、私は違うと思います。ヨーロッパ文明の潮流を辿れば労働はイコール罰であり拷問でもあった、だからこの現代に於いても、そういったルーツを持つ国々では日本人からみたらびっくりするほどの長期休暇を取るのが当たり前ですが、日本人にとっての労働の根源には家族という概念がまずあり、それが近代では終身雇用といった制度に反映されたと―物凄くすっ飛ばしましたが―そう考えて不自然は無いはずだと思います。ここで気付くのは、私が毛嫌いするタイプのハウツー本の多くは独立や個人での起業を促すものが多く、組織に属することを嫌う。という事はつまり、こういった本の多くが語る諸説の理想とするところは家族型労働を脱した個人主義であることが伺えます。

労働概念に限らず近代の日本社会では、個人の人権や自由といった概念がさも新しいものであるかのように持て囃されて来ました。昭和27年ごろを舞台にしたドラマなんぞを観ますと、これからは民主主義の時代だあなんて台詞が当たり前に出てきますし、ただ欧米的であることを進歩だとその当時から勘違いして今も迷走している新聞社もございますね。そしてこの独立個人起業系の概念というのも、どうも新しくてカッコ良いようなブランディングを施されているように思うのです。

勿論、働き方は色々で結構です。かく言う私も去年の今頃まではフリーランスで仕事をしてきましたので、組織に属さない事の利点も味わいました。ただここで私が言いたいのは働き方の選択についてではなく、働くことそのものに対する考え方についてです。大小を問わず、企業のホームページなどを訪れると必ずCSRのページがあり、その企業がどういった形で社会に貢献しているかが綴られていますが、個人の集合体である企業が果たす社会的責務の実務を負うのは結局のところ個人であり、組織として集合していようがいまいが、何人たりとも社会の一部である事に変わりはありません。つまりどういった働き方をしようが、社会に貢献するのが働くという事なんですよね。

そんな簡単な事をなぜこんなに回りくどく言うかとお思いかもしれませんが、本来は結果である稼ぐことや成功をするという事を目的にして働いた場合、一体何が結果として見出されるのでしょうか、私には思いつきません(そんなに稼いだこと無いからでしょうけどね)。ちなみに社会に貢献すると言うとさも無償で献身的に何かに取り組まなくてはならないような気になるかも知れませんが、誰かの小さなニーズを満たすだけでも十分に社会貢献と言えます。流し台の下のスペースが上手に使えなくて勿体ないなあと思っていた時に100円ショップでイイ感じの棚を見つけた!これでフライパンや鍋が綺麗に収納できた!助かった!日々の家事がはかどる!ほら、とっても社会貢献です。誰かに喜んでもらう、誰かの悩みを解決してあげる、その対価としてお金をもらう、その当然の社会の仕組みの中で、ちょっと人と違ったアイディアでたいへん儲かったという例は数えきれないほど聞いたことがありますが、稼ぐぞ!稼ぐぞ!と言っている人が稼いだ!と言う話はあまり聞きません。

結局のところ、世の中の役に立ちたい、私達のこの社会を少しでも暮らしやすくしたい、皆に喜んで欲しい、そういう気持ちで皆が働いてそれぞれの役割を果たせたら、これ以上素敵なことは無いはずですが、自分だけが人より稼いで良い思いをしたいと言う心構えで商売をやるとしたら、それはきっと本来誰かが得るはずの利益を自分へ誘導したり、本来存在しない利益を加算することで補うわけですから、社会の一部の人には役に立つどころか迷惑になります。そもそもそういう事はしていませんよと大きな声でアピールする必要性の上に出来上がったのがCSRと言う概念であって、企業と消費者が敵対する関係の社会が産んだ風習です。

私達日本人はもともと「一」となる才能に長けた、と言うよりもそういった精神性を古来より有難く頂き受け継ぐ機会に預かった、大変に珍しい民族であると思います。個人レヴェルでは売る側と買う側は敵対せず、企業となれば上に立つ者は下の者へ罰のような労働を強いるのではなく、国家の頂点に在る存在は民の平和を平等に祈る。それが本来の真っさらな日本社会の姿であるはずです。ところが近々で言えばブラック企業が話題になったり、遡れば男女雇用均等法に至るまで、本来必要のない問題が問題とされ社会がうまく回らなくなっています。あらゆる価値観や概念で形作られて今日に至った社会ですが、形と言うものはたった今申した通り作られるものである一方、姿というものは表面的な格好だけでなくその奥の心を併せて現れるものであるとしたら、そもそもの私達の姿とは一体何だろうかと言う真剣な問いに正直に答えながら、必要のないものを削ぎ落として一旦整理整頓する必要があるように思います。今日明日の自分達の暮らしの事ではななく、過去から現在そして未来へと続く自分たちの歴史をどう考えるかであって、誰か一人がするのではなく、社会全体でやらなければ意味がありません。小手先のちょっとした技で乗り切れる季節はとっくに過ぎて、原点に立ち返らざるを得ない状況にあると思います。

苟も民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ(いやしくもたみにかがあらば、いずくんぞひじりのわざにたがはむ)。そこから始まったことをひとりでも多くの人々が幸せに感じる事ができたならば、きっと何もかもうまく行くと思います。すめらぎいやさか。