君たちがヘタレで居てくれる事がせめてもの救いだ。

北海道大学の学生がイスラム国に参加しようとして逮捕されたことは記憶に新しいが、その時の学生の言葉として確かテレビで紹介されていたのは「自由になりたかった」みたいな感じだったと思う。

自由とは一体なんでしょうか。私は近年、自由の限界についてぼんやりと考えることが多い。ソルジェニーツィンが既に思う存分言い放ってくれている事ではあるけれど、近代社会で都合よく使われる自由と言う概念の裏側には本来在るべき責任の存在が欠けている。一方、今回イスラム国に殺害されたとされる湯川氏と後藤氏の行動を自己責任として片付ける意見を散見しますが、この責任には「自己」なる概念がくっついているせいで厄介だ。自己責任と言うと歯切れが良くてクールに思えるが、結局は自分勝手な責任の取り方に思えてしまう。本人がいくらこれは私の自己責任ですからと明言したところで、日本政府がこれを放置しておけるはずがない。国家と国民と言う関係性を崩さない限り、そこにどんな意志や想いがあったとしても自由の在り方と責任の在り方が変わる事はないのです。

イスラム国というのは言うまでもありませんが国家ではありません。どこに守られているわけでもなく責任の在り処は自分にしかないと言えば確かに自由かもしれない。ではそんなけったいな自由を極めたイスラム国がなぜ「国」と名乗っているのかと言えば、自分達の理念に沿う国家建設を目指しているからに他なりません。哀れにも自由に憧れた日本人学生がイスラム国へ参加したところで結局は彼の思う自由を得る事は無く、私のような浅学菲才の身でも少しググれば辿り着く情報ですが、前線へ送られて80%から90%の確立で戦死を遂げる、ただそれだけのことです。

身代金を支払ってでも日本国憲法に従い人命を第一に優先せよと口を揃えて言う人々が普段一体何を主張しているのか鑑みれば、憲法9条を守るということです。久しく条文を観ていない人もいるかも知れないのであえておさらいしますと…

一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 9条人気の最大の理由は「武力を行使しない」と言う点にあります。後藤氏の母親と名乗る方の記者会見を全編ご覧になった方ならお分かりだと思いますが、とにかく9条ファンは世界平和を武力ではなく話し合いで実現しようと言うスタンスでいる人々です。資産家を脅迫したり歴史的建造物を破壊して文化遺産を売り捌いて資金調達しつつ、子供達に人殺しの現場の映像を見せて恐怖で洗脳しているイスラム国の人々と、何をどう話し合ったら良いと言うのか是非、ペーパーにして頂きたい。「金や人殺しより簡単☆国家建設に役立つ裏技集」みたいなものがあったらもしや食いつくかもしれません。まあ実際のところ、平和どころかご自身の身内の命にもあまり拘りを持たないような人々ですので愚直なりにも本気を垣間見られるような行動を期待することは難しいのが残念でなりません。結局のところ平和の追求が全く以て中途半端で、利己的なだけなのです。大人がこれでは、自分勝手と自由をはき違える子供が増えても仕方がありませんね。

安倍政権へ向けて怒りをぶつけるよくわからない人々は、実は本人達も自分の足場が一体どこにあるのか良く分かっていないはずです。本人達が良く分からないものを他人が分かるはずもなく、良く分からないということで分かった事にするぐらいしか手立てがありません。人質を助けて欲しいと思わないはずありませんが、今問題なのはテロリズムへどう対抗すべきかであって安倍政権の命運ではない。仮にこの責任を取って安倍総理が退陣をし新たな総理大臣が誕生したとしても、テロリストにとっては交渉担当の上司が変わるだけで彼らの行動原理に何か影響を与える事は一切ない。素っ頓狂にテロリストに便乗して身勝手な願望を吐露しすぎたせいでもしや交渉が難航したかも知れない。イスラム国の人へご丁寧にツイッターでおかしな情報提供をした人もいたようだし、もはやこれは国内案件として別個のテロリズムが横行しつつあるのではないかとさえ感じます。いいや、むしろずっと昔からあったものがうっかり顔を出したと言った方が妥当かもしれません。

国益と言うものは、主義で追求するものでは無いでしょう。如何にもドライな損得の部分と尊厳の二つで成り立っており、幾ら得しそうな選択肢でも国家の尊厳が損なわれる恐れがあれば適切とは言えない。移民の問題などは之に当たるでしょう。主義で国益を追求しようとすれば自ずと排他的にも暴力的にもなり、例えば移民を受け入れない事が差別であると言ったような寝ぼけた主張をたまに見かけますが実は逆なのです。そして国家として認められていませんが、国家を気取って自分達なりの国益を主義によって追求しているのが他でもないイスラム国であって、彼らにどんな信条や理想があろうとも、現実社会でそれはテロリズムと呼ばれるのです。

そして国内に目を移してみれば、主義に基づいて政権批判をしている使えない野党がどれ程多いことでしょうか。日本のそう言った方々は自分の命までは掛ける気概もないくせに保身だけは一丁前なので、自ら大胆な行動に出ることは無いかも知れませんが、本質はとても似ているように感じます。一生せいぜい命を大切にして欲しいと思います。

今日のところは、このへんで。今年もどうぞよしなに。すめらぎいやさか。