考えられないなら行動もしないほうがいいと思うの。

福島から奥羽本線に乗ってトンネルを抜けるとそこは冗談抜きでいやほんとにもう、雪国なんですよねえ。扨て、今週の私は数か月ぶりの連休でのんびりしてきました。たまにはテレビなんかも見てみようかなと思ったのですが、全然身にならない同じことの繰り返しでつまらなかったのでやっぱり読書に勤しむことにしました。読書というのは孤独な作業で、書き手と読み手の密室ですよね。交換する情報はとても少ないかも知れませんが、その分心は沢山動きますし、読み終わった後でまた、あれはいったいどういう事だったのかな、もしかしたらこういう事でもあるのかな、などと再び孤独に考えを巡らせるのですが、その作業が私はとても好きだし自分に必要な事だと思っているんです。それに引き換えテレビとかインターネットもそうかもしれない、週刊誌でもなんでもいいですが、どばどばどうでもいい情報はくれる割りに、独りきりで考える隙間を与えない。番組の最後にお決まりのように「国民ひとりひとりがじっくりと、考えなければいけませんね…」などと言う割に、では次のニュースです!わいわい!と続くわけで、じっくりと考える時間なんて与えてくれません。まあ、与えられたら放送事故ですね。

与えてもらえないものは自分で作らなくてはなりません。テレビであんな事を言っていたけれど、本当かしら?正気だったのかしら冗談かしら?と。だけどまあ実際、テレビで得た情報の裏を取ろうとする人はほとんどいません。テレビをどこまでも信用しているからというのが一般に考えられる原因ですが、テレビに限らず何事も、一旦自分の中で咀嚼して考える習慣が無いのです。また、考える作業の中で再び他の情報を得ようと右往左往してしまいがちですが、そこで黙って独りで自分の力だけで考えるという事をやってみたらいくらか自分の馬鹿さ加減に気付くでしょう。なんて私は考えの幅の狭い、情報量の少ない、了見の無い人間なんだろうと。そこで初めて、新たな知見へ辿り着く努力をすれば、段々と慣れてくる。勝手が分かってきて、考える事がやりやすくなるんじゃないのかなと思います。

考える事が苦手なんだなあと思う実例に直面したのでちょっとした一例として取り上げさせて頂きますが、ISILの邦人人質の件で官邸前をディスコと化して歌って踊って平和を訴えようみたいな集会が開かれたでしょう。あれに参加してきましたと言う人をFacebookで見かけたんです。本人は純粋に平和を願って参加したのでしょうが、勿論あれを主導しているのは福島瑞穂氏だとか書くのもめんどくさい愉快な仲間たちみたいな人達であって、本気で日本や世界の平和のために日々努力している人達なんだと思ったらどうかしらと言う以前にですね、この件に関して官邸前で騒ぐことにどういう意味があるのか、それが判らないというのがとても問題だと思うんですね。物事の関係性とか、順序とか、良し悪しとか、そういった根本的な部分を判断するに足る思考が欠落しているわけですから、これはとても深刻な事でしょう。悪気があって隠している人ならまだ安心ですが、そうでないと言う所が。

行動力があるのは悪い事ではないですけれども、ぞの前にまず黙ってじっと考えてみて欲しいですね。黙るというのもなかなか決断力のいる事でもあるわけですから。あ、この事についてはまた後日。時間が来てしまいましたので今日はここまで。すめらぎいやさか。