言葉には人を動かす力が全然無い時もある

私の知人には有言実行の見本みたいな人も居れば、口ばっかりの標本みたいな人も居て、ああしたいこうしたいと口にする事自体には変わりが無いのに、結果には雲泥の差があるのは一体なんだろうと考えてみたところ、口にする前に良く考えているかどうかに尽きるという当然の結論に至った。かく言う私も以前、最初のアルバムを発売した当時良く通っていたバーのマスターから、僕に話していたことをそのまま実行したから凄いと思ったと言われた事があるが、実は話した記憶はあまりなくて、酔った勢いで内に秘めていた計画を語ってしまったものと思われる。語った時には既に絵が完成していて、必ず実行できる算段がついていたからお酒の楽しさも手伝って恥ずかしげもなく口にする事ができたのだと思う。つまり、有言実行の人というのは実行するにあたり本気の準備が整っていることで初めて有言するのであって、口ばっかりの人と言うのはまだメインキャラのラフも無ければネームも無いのに集英社の住所だけは調べてあるような人です。それともう一つ、恥ずかしげがあるかどうかというのもひとつポイントで、有言実行タイプは有言しておいて実行できなかったら恥ずかしいし悔しいしカッコ悪いと感じるものですが、口ばっかりタイプにはそんな事お構いなしで、実行できなかったところで、だけどね聞いてよ!僕はね!と誰が聞いたって面白くもなんとも無い精神論や夢物語を垂れ流して平気でいられる鈍感なところがあります。聞いているこっちが恥ずかしいのです。

本気かどうかというのはその人がそうだと言ってしまえばそうなのだから、中々否定するわけにも行かないのですが、何につけても思慮が浅くてすぐに物事を分かったような気になる癖を、どうにか直すことはできないものでしょうか。自分はこんなに頑張っているし、たくさん勉強もしていると言うでしょうきっと。そう思っているうちはダメなんです。ずっとほとんどの事をいつも勘違いばかりしているからです。それらしい言葉は捨てるほど記憶しているのに、それで人を癒したり勇気付けたり楽にしたりできるようになるには、その言葉を自分自身が生きてからでなくてはいけない。名言集とかの類が私は苦手で、ああいったものはつるっと読めば良い事がたくさん書いてあるので無駄に良い気分になって何故か自分が成長すらした気になるかも知れませんが、実は一つも自分の人生を犠牲にしていないので、記憶には残ったとしてもその人の本質には何の影響も与えませんね。論語読みの論語知らずってやつです。名言の凄いところは、その名言が出るまでの脈略、つまりそういう言葉が絞り出されるような生き方をした人なのであって、名言だけを見つめたところで何も意味は無い。そう思ってしまうから私はそういう本を買おうとは思わないんですね。Naverまとめで読むくらいで十分です。ええ、読むことは読むんですけどね。

クラシックを聴かせて育てた牛肉が美味しいのかどうか良く知りませんが、美味しいと仮定しましょう。クラシックは名言です。クラシックの本を買ってきて一通り読んで、クラシックって凄い良いよね~と言ってうんちくばかり垂れる牛Aと、心から陶酔して聴きこんで自分のモノにして時には涙し時には勇気付けられながらクラシックと共に牛生を歩んできた牛B。どちらの肉が美味しいかと言ったらBです。そういう話です。

違うか。千秋楽が気になってしょうがないのに今日はテレビの無い我が家で作業の日なのでちょっと寂しい。ではまた今度。すめらぎいやさか。