君には何が見える?敵は何だと思う?

先日『「進撃の巨人」と日本人』というテーマで、原稿用紙でだいたい14枚分くらいの短い文章を書く機会があった。その中でのいくつかの論点のひとつとして、一匹残らず駆逐すべき巨人に対して、怒りを原動力とした活動ではこれといった成果を得られなかった人類だが、ハンジ・ゾエがそうであるように、研究対象として観はじめることで前進の兆しが見えてくると言うのは、今まさに私達がやらなくてはならない事のように感じる。逆に、ただ怒りや不満だけを原動力とし続ける事しか知らない人々は、負け続ける事が既にこの漫画の中でも証明が成されていると言える。さらに悪戯に恐怖を煽り何かを妄信させる事の愚かしさはウォール教が示してくれている。「進撃の巨人」の世界で人類は100年間、壁の中で平穏無事な暮らしを続けて来た。壁の外の事や世界が壁で覆われる前の歴史は焚書となっていたが、それに興味を持っている事を理由に異端児扱いされていたアルミンは、100年間何も起こらなかったからと言って今日それが起こらない保証などどこにも無いと感じていた正にその日、超大型巨人によって壁が壊されて物語が始まるが、日本では今日も平和憲法さえあれば戦争をしなくて済むし、そんな国を戦争のできる国にしようとしているのが現政権であるなどと言う素っ頓狂な現実味の全く無い絵空事を眺めながら、誰かが壁を壊してくれるのを指をくわえてへらへら笑いながら待っているようである。もしや彼らは奇行種か。

さて話を戻すが、では研究対象とすべきは一体なんだろう。対象は様々あると思う。その中で、各々が一番怒りを覚えるか不可解に感じる対象を研究するのが一番だと思う。けしからんけしからんと言い続けているだけでは、何もはじまらない。一体どうしてこんなにも理解し難い事をしでかすのであろうか、彼らの本音とは、どういった背景や力関係があって、はたまた切っ掛けは何か。探っていく中できっと今までとは違う何かが見えてくるに違いない。しかし困難なのは、明確な意図があって極端な言論を放っているような人々ではなく、何も特別な興味の矛先も無いような大多数の普通の人々が一体何を思ってどう感じているのかを把握することだと思う。どこへ目を向ければそれが掴めるのかがまず、掴めない。もしかしたら掴むことはできないのかも知れないけれど…

気を付けたいのは、自分が理解できないものや掴む事ができない感覚を一括りに否定してしまう事だ。私、ムリっ!と言ってそっぽを向くぐらいなら可愛いものだが、必要以上にバカだのクソだのキティガイだのと言った形容詞をつけて罵る人がいる。これほど下品なことはない。自己紹介だと思えば良いと友人が助言してくれたが、人を見下したり絶対悪扱いしてエア戦闘に勤しんだりしていないと生きた心地のしない人というのが常に一定数存在するのは自然の摂理なのだろうか。趣味が悪いね。

言いたいことが色々あったような気がしたのだけれど、千秋楽が終わったら気が抜けてしまってもう別にいいかなって気になっちゃったので終わりにします。すめらぎいやさか。