「進撃の巨人」と日本人

5月の天志塾でプレゼンした『「進撃の巨人」と日本人』の解説文を紹介させて頂きます。プレゼンの持ち時間に制限がありましたので、内容は言いたいことの3割程度で簡素にまとめてありますが、ブログの記事としては長めになりますので、一寸暇な時にでも流し読みして頂けたら幸いです。では、以下本文です。

 

進撃の巨人」のテレビシリーズは二〇一三年四月から同年九月まで放送され、一躍社会現象となるほどの人気を得た。この頃を振り返ってみると、テレビ放送開始前年末には衆院選自民党が政権奪還を果たし、明けて一月には「日本未来の党」嘉田代表が辞任、「新党大地」が解散、「生活の党」が小沢一郎氏を新たな代表に選出などを筆頭に野党では離党入党合流などの雑多な動きがあったのを尻目に、二月に安倍晋三内閣総理大臣オバマ大統領と日米首脳会談を行ない、韓国ではパク・クネ氏が大統領に就任、中国では三月に習近平総書記国家主席に選出された。放送が始まった四月には、安倍総理プーチン大統領とも日露首脳会談を行なった。長く暗く苦しかった三年間の民主党政権からいよいよ解放されて、いざ反撃に出ようと言う機運が高まっていた時期と言えるだろう。

そんな世間のムードの中で始まった放送の第一話では、超大型巨人の出現により百年間平穏無事な生活を守ってきた五十メートルの壁が簡単に壊されてしまったばかりか、主人公エレンとミカサはエレンの母親が巨人に引きちぎられて食われる瞬間を目の当たりにするという絶望的な場面から物語が始まり、続く第二話では、「弱く力の無い人類はただ泣くことしかできず自由を奪われ行くだけなのか」と嘆くエレンが、ついに怒りに震える眼差しで「駆逐してやる…この世から、一匹残らず!!!」と叫び、この世から巨人を絶滅させる事を固く誓うのだった。第一話のラストに語られるナレーションはこうだ。

その日、人類は思い出した
奴らに支配されていた恐怖を
鳥籠の中に囚われていた屈辱を

有事があって初めて目が覚めるという現象は、多くの日本人にとってまだ記憶に新しいはずだ。二〇一一年の東日本大震災の後は近年個人主義が幅を利かせていた日本で久しく「絆」という言葉が持て囃されたし、石原元都知事が「津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う。」と発言した事から「天罰」だけがクローズアップされ発言を撤回するに至るというできごとがあったが、確かにあの天災を我々日本人への神様からの厳しく残酷な喝であると感じた人は少なくなかったはずだ。百年間の油断を一日で後悔させられる事となったウォール・マリアの住人達のように、たった一日で故郷を失い肉親や友人達が目の前から消え去った人々にとって、それまで謳歌していた平和や安全がどれ程もろいものであるかを思い知るには十分すぎる体験だっただろう。

しかし災害によって平穏な生活を壊されるまでもなく、保障されているものと信じていたものが虚像であった事に気付き始めた日本人も多く居るはずだ。学校では教わらなかった日本史に触れ、国際社会の現実を思い知った者は、今まで敵だと思っていたものの他に真の敵がいるとも感じていることだろう。物語の中での人類たちは、巨人に対する憎しみを原動力にした活動は飽きるほど繰り返してきたが、世界を巨人から取り戻すための確かな成果を何も得られないでいた。アニメ版第十五話で、巨人の生体を研究する科学者ハンジ・ゾエは「私達に見えているものと実在するものの本質は、全然違うんじゃないか」と言う疑問を持ったことから、それまでのようにただ憎しみに突き動かされて巨人を殺す事だけに懸命になるのではなく、研究対象として違う視点を以て人類の希望を得ようと考えるようになった。同じく十五話の終盤では、ハンジが研究のために保管していた二体の巨人が兵士の何者かによって殺される事件が起こり、調査兵団団長エルヴィン・スミスが若き主人公エレンにそっと「君には何が見える?敵は何だと思う?」と問いかけるシーンも登場する。

つまり物語の中においてさえ、安寧秩序を崩壊させた存在である巨人が人類の敵かと思いきや、本当の敵は自分達人類の中に潜んでいるのだ。ではこれを日本人に置き換えて考えたらどうなるだろうか。憎む者はあまり居ないにせよ災害をもたらした自然そのものや、しかし挑発的な周辺諸国は巨人に例える事ができるだろうが、そういった危機感の中で気付かされた価値観や現実を永い間ずっと軽んじて来た自分達への自己反省と共に、この社会に存在するタブーや積年の悪循環に異を唱え、在るべき姿に変えさせようとする対象が敵であるとすれば、その敵とは自虐史観であり偏向報道であり帰化議員達や日教組であり、隣近所の在日特権でもあるだろう。目の前の害悪に憎しみを抱くのか、もっと根底に潜む敵を認識するかには個人差があるが、エレンが「駆逐してやる…この世から、一匹残らず!!!」と叫んだ時、視聴者の心にも現実の一匹が顔を出したとて不自然ではない。

余談だが、現代の日本人にとって憎しみの対象として突出した煩わしさを発揮する存在の良い例は在日朝鮮人である。二〇一五年の昨今ではもはや怒りよりも呆れた失笑の対象となりつつあるが、進撃の巨人がテレビアニメで放送していたこの頃はまだ民主党政権時代の流れをそのまま受けて過敏な反応を示す人が多かったし、芸能人の母親が生活保護の不正受給で騒がれたのもつい半年ほど前の出来事という時期である。在特会在日特権を許さない市民の会)の会員数が二〇〇七年三月には一〇〇〇人だったのに対して、二〇一三年には一四〇〇〇人を超えたと言われている事からも、在日朝鮮人に対する世間の関心が急激に高まっていた事は事実と言って間違いないだろう。日本人の血税をかすめ取り国益に寄与することもないままに居直り続ける彼らに対し、エレンと同じセリフをぶつけたくなった視聴者が多く居たであろうことは、もちろん正確な数字を把握することなど不可能だが想像に容易い。

しかしこの「進撃の巨人」が社会現象となるまでの人気作品となった理由は、ただ単に強敵をばっさばっさと斬り倒す痛快なアクションドラマだからではなく、私達日本人にとっての現実社会を思わせる要素が散りばめられているからだ。例えば物語の中での社会構造に目を向けてみると、戦闘能力は低いが社会の中枢である王都に仕える憲兵団は官僚や政治家、壁内の治安維持や壁上での警備にあたる駐屯兵団は警察官、壁外へ出て巨人と対峙する調査兵団自衛隊に当て嵌めて見ることができる。壁が安全を守ってくれると信じ切ってまだ人々が巨人の脅威を知らなかった頃、中には調査兵団の必要性に納得が行かず彼らを税金の無駄と揶揄する者も居たが、いざ巨人の襲来で混乱に陥ると兵士たちは感謝される存在へと変わる。吉田茂自衛隊へ向けた言葉として有名な「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。(中略)しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」とは、そのまま調査兵団にも言える事なのだ。

また全二十五話から成るテレビシリーズの冒頭一話から七話までは、とにかくこの世の中は残酷であると言う事ばかりが強調される。「この世界は、残酷だ」と言うミカサの台詞は物語の中で何度もリフレインされ、訓練兵として一つ屋根の下で共に成長してきた新兵達はあっけなく巨人の餌食となるし、主人公エレンさえも巨人の胃の中に納まってしまう。食いちぎられたエレンの腕の残骸が飛び散る光景を目の前で見守る事しかできなかったアルミンは正気を失って、冷静かのように見えたミカサさえも命を擲った行動に出る。圧倒的な巨人との力の差に絶望するばかりの展開から予想だにしない一縷の望みが見え始めた頃、いよいよ物語が動き出す。

その望みとは、それまで敵でしかなかった巨人を味方につけて戦うという道だった。巨人の胃の中に納まったはずのエレンがなんと自ら巨人化して街中の巨人を次々と倒して行くと、もはや全滅するかと思われた戦線の兵士たちを救い戦況は好転し、巨人化したエレンと共に戦った兵士たちすら困惑しながらも、新しい道を見出したはずであった。ところが、例え巨人との戦いで有利に働いたとは言え人間が巨人化する事実が明るみになった事で大衆は混乱に陥り、統治機構の一貫である兵団内でもエレンの扱いについて意見が対立した。

結論を出すべく開かれた兵法会議には、審判を下す総統、エレンの解剖を主張する憲兵団と活かして人類の役に立てようとする調査兵団の他に、街の商会の幹部や壁を神聖な物として崇め奉るウォール教の祭司も参加し議論が交わされるが、エレンがまだ母親と暮らしていた五年前頃のウォール教は民衆の誰も見向きもしない存在であったにも関わらず、壁が壊されて人類が巨人の脅威に晒されて以降信者数と権力を増し、政治にも首を突っ込む存在となったため、本来整備する必要のある防衛装備を壁に設置する事に困難を来していた。そして壁さえ守れば人類は救われると主張するウォール教と、資本主義の現実性に基づいて保身と利益の獲得に忠実な商会の人々、そして確証も無くエレンを人体実験の犠牲にしようとしながら人類の英霊になって欲しいなどと詭弁を弄する憲兵団の不毛なやり取りに、ついにエレンが口走った本音は「自分達に都合の良い憶測ばかりで、話を進めようとしている」であり、続いていよいよ全ての想いの丈をぶちまける決意をしたエレンが叫んだのは「力を持っている人が戦わなくてどうするんですか!?生きるために戦うのが怖いって言うなら、力を貸して下さいよ!この…腰抜けどもめ。いいから黙って、全部俺に投資しろ!!!!」であった。

ウォール・マリアの壁は巨人によって見るも無残に破壊され、人類の居住区、つまり領土は奪われた。エレンが言った〝都合の良い憶測〟とは日本人に置き換えれば、憲法九条さえあれば平和が保たれると妄信する事であり、また〝力を持っている人が戦わない〟と言うことは武力の放棄に等しい。兵法会議の決定によってエレンの身柄は調査兵団に託される事となり、エレンは調査兵団と共に壁外調査の任務にあたる事となるが、正しい判断の選択に戸惑うエレンに対し人類最強の兵士であるリヴァイ兵士長は「悔いが残らない方を自分で選べ」と告げる。正しさとはなんであるか、それを決めるのは法則や経験則ではなく自分の信念でしかないと言う概念は、例えば尖閣諸島沖の防衛の最前線で何を優先するべきか自己判断を下した一色正春氏を思い起こすものさえ伺える。

壁外で巨人と戦う調査兵団の任務は大変厳しいもので、出兵のたびに多くの命が失われるばかりか、死体を持ち帰ってもらう事すら叶わない者も五万と居る。そんな戦場の現実を目の当たりにしてきたリヴァイの台詞には思慮深いものが他にもあり、例えば戦闘能力が非常に高く闘志に燃える新兵のミカサがリヴァイと共に作戦行動に出た場面では、戦いの中で感情に任せた行動に出たミカサに対し「作戦の本質を見失うな。自分の欲求を満たすことの方が大事なのか?」と苦言を呈する。これは昨今、自分の知識をひけらかしたり優越感に浸りたいだけで、日本を取り戻すと言う本来の目的を果たすには何の役にも立たない愛国活動で自己陶酔をする人々にも良く噛みしめてもらいたい言葉でもある。

更に物語が最終話に近づくと、この状況が人類にとっての国家存亡の危機であるにも関わらず、戦場の辛辣さとは裏腹に壁の中では温く腐りきった統治構造の内部事情を描写する場面や、正論をぶつけるだけでは世の中を正す事ができない現実を描くエピソードが登場し、危機意識のレベルには大きな差がある事が判る。これは現代の日本が置かれている状況とも良く似ているが、更に主題歌の歌詞にも引用されテレビシリーズ最終話でリフレインされるアルミンの台詞「何も捨てることのできない人には、何も変える事はできない」は、安全な場所から威勢の良い事を言うだけであったり、問題を認識しながらも本気で改善させようとする行動の伴わない愛国ごっこで満足している人々をも思わせるものだ。物語のクライマックスは、心の動揺から巨人化の能力をうまく使う事ができなくなった主人公エレンが、ついに迷いを捨てて「正しいかどうかなんて考えている暇はない」と言って遂に巨人化を果たすが、そこまで切迫した想いで現代を生きる日本人はどれ程存在するだろうか。この物語にどんな終わりが待ち受けているのか、まだ原作が連載中である限り知る者は居ない。しかしそれは正しく、今現在我々日本人が請け負っている大小様々な戦いに具体的な結末が約束されていない事と綺麗に重なるような気がしてならない。

《了》

 

ふぅむ…改めて読み返してみるとこれは、1割にも満たないなあ。まだまだあるんですよ言いたいことは。だけどまあ、触りとしてはこんなもの。すめらぎいやさか。