勘違いも恋の内、じゃないよねやっぱり

時が過ぎても味わいを増すような言葉というのは稀で、だいたいは生もの同様、旬が過ぎた後に旬の頃の旨さを語られても理解できないし賞味期限が切れれば不味い。新聞テレビ週刊誌などのメディアが良くやる事として、政治家や著名人の言葉の切れ端をピックアップして肥大させて批判を煽り、元となった発言内容とは全く違う意味合いを付け加えた上で勝手な世界観を作って強引に謝罪に追い込むと言うのがありますが、発言した本人はだいたいそういう意味で言ったのではありませんと反論をしますよね。その反論は当然であるものの、何か意味を成したことがあったろうかと考えると、あまり思い当たりません。悲しい事ではありますが、大きな声で強い印象を勝ち取った方に軍配が上がってしまうのが現実です。この際、正しいか正しくないかは勝因に寄与しません。世間も実はそこまで興味ありません。面白い方、インパクトの強い方、煽られる方へ、深く考える事もなくほいほい付いて行くものなのです。馬鹿にしたいのではなく、社会とはそういうものなのですから仕方がないのです。なんせ彼らには悪気が無いのです。

私の場合だと集団的自衛権憲法改正の事だったら日頃から散々考えている事なので、テレビでコメンテーターが適当な事を言っているとおいおいおいおい!と心の中で拒否権を発動できますが、全く予備知識の無い殺人事件や事故の報道についてだったら、その真相を知りもしないでコメンテーターの言葉にうなずく時だってあります。元から何か心に持っている話題でない、空白の状態でテレビを見ていると、テレビの中の人たちが言っている言葉を自分の言葉と勘違いをして無意識に納得してしまうんですよね。世の中の物事全てに対して持論を述べる事のできる人など居ないはずですから、自分の考えだと思っているソレは実はどこかから勝手に埋め込まれた考えでしかないのです。

安保法制や憲法の話題となると中々一夜漬けでは全貌を理解することができませんので、専門家らしき人の意見をまず聞いてそこから議論を簡単に済ませようという事になるわけですが、そもそもその専門家らしき人として紹介されている人が全然専門家じゃなかったりする事に気付けない人が圧倒的に多く、もう何を信じていいのか分からない、誰の言っている事も信用できない、とにかく政府が悪い、全部安倍のせい!のようなジェットコースターに乗ってしまう人も少なからずいるわけですね。考える事が面倒だしめんどくさがっている自分を肯定するのが許せないので素っ頓狂なオチを付けて仮初の安心感と共に生きながらえるばかりなのですが、その結論に本心から安心してはいけない事ぐらい本人も分かっていて、それでも分かっている事を分かりたくないので叫び続けて聞こえないフリをする、ぐらいまで行くと重症です。最近は若者にそういう人が多いらしいですね。大学生とか。

となると思い出すのは安保闘争のあった時代の事ですが、法案の内容をきちんと読んで理解した上で闘争に加わっていた人なんてろくに居なかったという西部邁先生の証言はあまりにも有名ですね。結局のところファッションでしかないのです。平和も戦争反対も反原発もチャラっと胸元に飾るアイテムであって、政権与党を巨大な悪者に見立ててそれに立ち向かう自分達が素敵でしかたがないという心情は分からないでもありません。顔も名前も出してしまっているような学生は卒業しても西早稲田あたりの身内に面倒を見てもらえる算段がついているでしょうから、就職の心配をする必要も無いですしやりたい放題で構わないと言う感じになっちゃうのでしょうね。ミニ菅直人がいっぱいいると言う事です。

まあそれも人生ですから好きにすればいいと思いますが、そうやって何かと闘い続ける自分の輝きを大切にしつつ、できれば国益は損なって欲しくないなあと願います。デモとかチラシ配りは肉体的に疲れますから本を読んで勉強したりする時間はあまり無いかもしれませんけどね。ちなみに私が嫌だと思うバンドマンの典型は、打ち上げで飲むばっかりが生き甲斐らしく技術も精神も全く向上の兆しが無いというタイプなのですが、肉体的に疲れると何か努力したと勘違いしてしまうんでしょうね。本当は頭を使ってもぐったり疲れるし腹もぐーぐー鳴るのですけどね。

今日はそんな感じで、すめらぎいやさか。