良いお年を。

 本日はおおつごもり。平成27年が静かに終わるかと思いきや最後に一悶着ありましたね。日韓合意について夫々の観点から様々な言葉が飛び交う中で、複雑である事が大前提の外交問題においてこれがどういった意味を持つのか、その意味さえもが複雑であるのだから、時期早々に何か断言してしまうのは気が引ける思いでいましたが、ひとつだけ確かに言い続けられる事としては、何のために何をしているのか見失ってはいけないという事です。そんな根源的で広義的な綺麗事を言うなんて下らないと思うかもしれませんが、実際に見失われている様を私は多々目にしました。これは日韓合意についてに限らずあらゆる場面で感じられる事で、例えば安全保障について話すのであれば、安全保障に纏わる現実問題の中でのみ話を進めるべきところを、性善説や精神論や民族性と言った話を織り交ぜるばかりか、議論の手前でレッテル貼り合って罵り合ってすっかり消耗してしまうので、真面ではとても取り合う気になれないのです。つまり包み隠さず言えば、中韓であれ反安倍であれ何かを敵視してバッシングする事で一体何を成し遂げたいのかという事を問うた時、それが自己満足以上の何があるのかと言う事です。

 私は日韓合意のこのような形は悲しい結果であると思います。本来であれば、もっと建設的に歴史を前に進めるような議論のできる隣国であって欲しいと思います。ところがそれがそうで無いとなった時に、同じように罵り合うのではなく、友人を見捨ててでもしかるべき道を進み導くべく茨の道を行く事をどうして抗えましょう。日本という国に生まれた人間として、恨みではなく祝いを出発点とするべきであって、何が悔しいかとか、何を言ってもらわねば満足がいかないとか、そんな事を価値観の中心に置くべきなのでしょうか、私には違和感しかありません。

 年明け以降ゆっくりと順を追って述べていきたいと思いますが、本年中に上手に纏められそうにないので、引き続き強かに学んで行きたいと思います。本年もあと30分を切りましたので、このへんで終わりにしたいと思います。すめらぎいやさか。