ざっくばらんな悠長日記

 昼下がりに喫茶店で読書でもしようと思ってカウンター席に座ると、間も無くして独りの小母様が私の二つ隣の席に座った。カウンターの向こうには白いシャツに黒いベストで凛々しい姿の従業員が二人居て、彼らに向かって「一日で二回来るなんて珍しいでしょう?」と切り出したかと思うと小一時間ノンストップで喋り続けたので、本を読みたかった私はよっぽど途中で別の席に移動しようかと思ったが、小さな店内でどこに座ろうと大差無いだろうし、感じが悪いように思われるかも知れないと思って我慢したが、小母様の声が私の耳にぐいぐい押し込まれて来るのをどうすることもできず、聴きたくもないが聴くことになった。

 まずは天気の話だ。今日は朝から暖かかった。最高気温は十四度。明日は十度まで下がるとの事だ。そして明日は成人の日だ。去年の成人式では雪が降っていたのに今年はとっても降る気配はない。それにしても最近の新成人はみんな借り物の着物で成人式を済ませるが、昔は足袋から草履から全部揃えていたので大変お金が掛かったものだが、普段和服を着る事も無いのだから時代は変わったものだ、私だってお母さんから譲って貰ったり買って貰ったりして何十着も持っているが着やしない、と言う。そこで従業員が「ご自分で着付けされるんですか?」と質問したが、できないのだそうだ。ちなみに着物を数える時は「着」ではなくて「枚」で言うものだし、着付けなんて覚えるのにそう大変なものでもない上に身近にお母さんと言う恰好の先生が居たのに勿体ない事をしておいて、現代っこの借り物晴れ着に文句を言えた立場なのか甚だ疑問だ。いや、文句では無いのだろう。五、六十万掛かったわと三回ほど口にしていたので、それを自慢したかったのに違いない。しかしこう言っては何だが晴れ着の相場としては安いではないか、良い買い物をしましたね。さて、この後は天気の話が再び挿まれて、従業員の年齢の話と歳の割に若く見えてイケメンだわよという話、近所の大型スーパーが今日は混んでいると言う話、その一連が何度かループする。確かにこの喫茶店の従業員は不思議とみんなイケメンなような気もする。

 話を聴きながら私の手元の本が五十頁ほど進んだ頃、小母様は帰って行った。待ちわびた静寂に満足しながら珈琲を頼み直して更に十頁くらい読み進めると、今度はお婆さんとお爺さん四、五人の団体がやって来た。カウンターから少し離れたテーブル席に座ったので、今度は安全だ。どんな話をしているかも気にせずにしばらく読書していたら、その団体の会話から「ひみこさん、ひみこさん、」と言うのが聞こえて来た。珍しい名前である。しかも私には日美子ちゃんという妹のように可愛らしい友人がいる。それで一気に私の耳はその団体の会話に奪われてしまった。意識し始めてみると大きな喋り声だし、狭い空間で聞き耳を立てるまでもなく聞けば、その方達は年齢七十三歳から七十五歳で、その内の一人のお父様は魚雷を作っていたのでC級戦犯にされて巣鴨プリズンに入れられていたと言う。すると別の方が、それって巣鴨のどこにあったんだい?と聞くので、その年代で知らないものかと驚いたが、知らなかったのは質問した爺さんだけだったようで、皆にサンシャインの所だよ!と教えてもらっていた。そこからは戦争体験談義である。俺は防空壕の中で生まれたんだという人が居たかと思えば、おっ俺だって経験しているよ!と我も我もと言い始めて、終戦が七十年前で開戦が七十五年前だと分かって聞いているとなんだかおかしな部分もあったが、最も共感し合って盛り上がっていたのがGHQの話であったのは成程と思った。しかしまあ、喫茶店でお茶を飲みながらわいわい喋る話題としてはどうだろうかと言う違和感を感じつつも、彼らの語りっぷりからは何一つ悲惨な空気を感じなかった。あっけらかんとしているし、面白がっていると言うか懐かしんでいると言うか、いたって普通なのだ。まるで私たちが、修学旅行は京都だった?奈良だった?え!北海道?いいなあ~!と言うようなノリで戦後の占領期間の話をしていた。

 大東亜戦争の話となると、日本国にとっては唯一で絶大な敗戦経験であるからして、そう易々と語ってはならんといった風潮があるような気がしていた。実際に以前、東京大空襲を経験した祖母を持つ知人と、具体的なきっかけはもう忘れてしまったが飲みの席で口論になって(確か戦争を知ったような口を聞くなといった具合で叱られた記憶があるものの、その人自身も体験はしておらず、祖母から伝え聞いた話が自分の体験程の価値を持っていたのだろうと思う)、それっきり疎遠になってしまった事があった。だが考えてみればこれは実際の体験をしていない者同士のできごとで、体験していないからこそ近親者から話を聞いたり本で勉強したり映画でおぼろげに触れてみたりもするが、そうしている内に余計な付加価値やブランドイメージのようなものを作り上げてしまっているのではないだろうか。他方、今日出会った実際の体験者達にとって戦争は、歴史的な意味云々の以前に、過去の個人的日常の中にあったできごとなのだ。別に後世に伝え残すべきと言ったような使命感も無ければ、戦争を良く知らない世代に不満を持っている様子も無かった。ただただ、それは思い出話以外の何物でも無かった。

 喫茶店で私が読んでいたのは河上徹太郎の『有愁日記』で、その第一から三章に掛けてはポール・ヴァレリーが多く引用されている。その中でこんな言葉が紹介されている。

「歴史」は知性の化學が作製したもつとも危險な産物である。その特質は十分知られてゐる。この産物は夢想させる。民衆たちを醉はせ、彼らに贋の追憶を生みつけ、彼らの反射作用を過大にし、彼らの古傷を維持し、休息中の彼らに苦患を味ははせ、彼等を繁榮强大の妄執かあるひは迫害の妄執に導き、諸國民を手嚴しい、驕慢な、我慢のならぬ、虚榮心の強いものにする。(「歴史について」一九二七年)

 私が実際に読んでいたのはもう少し先の章だったが、はっとして第一章に戻って読み返してしまった。自国の歴史について全く知らないのも興味を持たないのも如何なものかと思うが、知りすぎておかしな事になっている人々も、そう考えてみれば多々見受けられる事に気付く。代表的なのは八月十五日に軍服を着て靖国神社へ詣でるような様で、それが東京ビックサイトだったら何とも思わないが、一体どういう心算なのか私には到底判断がつかない。つい先日は慰安婦問題についての日韓合意で、安倍総理英霊の名誉を汚したとして抗議を受けているようだが、「歴史」と現実で現在進行形の「政治」を並べて議論するのは些か乱暴に思える。何故なら「歴史」は過去の事実の羅列ではあるものの、ヴァレリーが言う通り追憶的な部分も当然含むし、現代から見た時に多くの人が納得の行く形に整えられたもので(納得の色合いの違いに於いては論争が起こるが)、もしそれを認めないと言うのならば「歴史」が存在する意義はなく、ただ「記録」だけがあれば良いと言う事になる。しかし人が気にしているのはいつだって「歴史」であって「記録」ではない。それを踏まえれば、「政治」はどちらかと言えば「記録」或は「速記」に近い。今行われている政治がどういった歴史を紡ぎ出すのかは、その直中に居たのでは中々視えるものではないし、総理大臣は歴史家なのではなく政治家なのであって、歴史を糺す仕事までも彼に押し付けざるを得ないとしたら、それは学者の怠慢か民間人の我儘ではないだろうか。国益を損なったと言って怒っている人も居るが、どうも国益と個人的な理想や願望をすり替えているのではないかと感じる。何を以てして国益と呼ぶのかも問題で、しかも名誉と言うのは日本国民の側からみた観念であって、国際政治の場でそれを主張及び固持する術としてどう言った道があったのか示された場面を見た事がない。更に言えば、それをやり続けて嫌われたのが正に韓国であるし、また現実的な国益に観点を置くのであれば、最大の外交カードを失った挙句国内問題を膨張させる事となった韓国のほうが相当の損害を受けたという見方もできるはずだ。

 何はともあれ考える事もしないままに、あらゆる勘違いと共に平気で生きているのが人間なんだなあと思った。時代が変わったから日常着で和服を着る人が居ないというのは勘違いで、実は二つ隣の席に座っているし、私は歴史だと思っていたものが、同世代と共感しあえる昔ばなしや武勇伝である人達もいる。過去というものは一体どこから歴史へと姿を変えるのだろう。会社の歴史を設立から現代まで振り返るなどと言う時は、数年か十年数年と言う場合でも、それはその会社の従業員や創業者にとっては歴史と呼べるものであって、遠く感じられる過去になった時それは歴史と呼ばれ始めるし、いくら遠くてもまだそれが昨日の事のように鮮やかだったり、見る人自身の精神や肉体がその当時とあまり変わらぬ様子だったら、それほど歴史な感じがしないのかも知れない。今日はこんなに長く綴る心算は無かったのに、昨日の予告通りしっかり余計な事を考えてしまった。読書に戻りたいので、すめらぎいやさか。