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ああでもないこうでもない

 自信に満ち溢れた人が多くて大変宜しいと言いたいところなのですが、はっきり言ってよろしくない。自分の考え「だけ」が正しいと信じている人というのは、その「考え」が成長する機会を放棄しているわけですから、そのまま固まって化石のようになって、周りにとっては鑑賞する以外に何の目的をも果たし得ない物体と化してしまいます。物体となってしまったらもう会話もできませんからね。それなのに誰も拾ってもくれないし、捨ててもくれない。厄介なものです。

 だからと言って自信が無さ過ぎるのもいけないんですよねえ。自信のありすぎる人がだいたい物事をあんまり考えないのに対し、自信が無さ過ぎる人と言うのは割かし良く考えるのですが、考える焦点に無駄が多い。考えても仕方がないことを考えすぎて、当然答えが出ないから、そこで自分は答えの出せない駄目な人間なのかなあ、どうなのかなあ、とまた考えて…以下省略です。この繰り返し。そのくせ考えるべき事はあまり考えていなかったりもするので困ります。

 そういう時に役立つのが小林秀雄の『考えるヒント』でしょうか。いえ、この本を読めばすっきり平和解決すると言う事ではありません、考える事の価値とは一体なにか、少し雰囲気だけでも知りたいと思った時に読むと言いますか、まさか誰しもが小林秀雄のように考えられるわけではありませんから、せめてその香りぐらいは知りたいと言う希望を叶えてくれると言う意味です。

 私には最近憧れの暮らしと言うものがあって、それはトイレが二つも三つもあって地下にはプライベートなバースペースがあって、サウンドシステムの整った部屋で映画鑑賞もできるし、ビリヤード台もジャグジーもあります、と言ったようなものではなくて、江戸時代みたいな質素な食生活で毎日規則正しく暮らしてみたいというものなんです。年明け以降、勤務地の近所に朝から昼過ぎまでだけ営業している十八穀米のおにぎりを売っている店を見つけて良く食しているのですが、もとから雑穀の好きな私には楽しいし体調にも良いし、正月太りが解消されてきたような気がしないでもないし、何と言ってもプチプチと噛みしめながらゆっくりと食べるのがとても美味しい。デカ盛りのお店情報にわくわくしていた頃の事はもう忘れて、一切無駄のない、だけどしっかり栄養のある最低限の食事を、健気に毎日こつこつ続ける自分が気に入っているのです。

 そう、無駄が無いとは美しいのです。しかし美しさを考える時に頻繁に邪魔をするのが豊かさで、無駄が多いのを豊かさと勘違いしてしまう事が多々あります。例えば江戸時代の日本人の食生活が今よりも選択肢にあふれていたはずは無いのに、体力は圧倒的に現代人の方が衰えているのだそうです。考えてもみれば確かに、飛脚や駕籠舁なんて相当な体力が要りそうですし、走ったり担いだりしないにしても、地方から江戸まで、はたまたお伊勢様まで、何日も歩いて旅をしていたわけですから、今ならちょっとしたニュースかドキュメンタリー番組もできるようなレベルの事を普通にやっていたわけですよね。

 話を少し戻しますが、私の憧れの暮らしが豊かな暮らしではなく質素な暮らしであるというのは、豊かさに無駄ばかり感じるからです。映画も音楽もゲームも楽しいですし、私だってたまには遊びますが、モノに溢れて豊かなはずの現代社会で何か後世まで受け継がれそうな芸術とか文學が生まれたでしょうか、即答で否です。などと言いながらパソコンに向かってキーボードを叩いてるのですから笑い者ですが、要するに豊かになったせいで失ったものの方が遥かに多いのではないかと感じますし、そんな事は何も私が言うまでもなく、今まで数え切れないほど言われてきたにも関わらず、全く省みられるこのとないまま今日までを過ごしている。社会生活の次元を過去に戻すのがどうしても難しいとしても、せめて何かできる事は無いのでしょうか。例えば毎日の食生活はどうでしょうか。選択肢を減らせば少しは実現可能ではないだろうか。

 私は日頃の食生活の中で、できる限り自分が納得できるものを食べたいと言う気持ちがあるのですが、それは何も週刊金曜日編集の『買ってはいけない』を読み込んだからとかではなく、食べ物とは自分の血となり肉となる、つまり自分になるものだという感覚があって、だから値段じゃあないにせよあんまりにも安物ばかりじゃ嫌ですし、なるべく質の良いものを食べたいと思うのです。それは同時に無駄なものは食べたくないという事でもあって、自分の心が本当に必要なものを得たいと願えば自ずから食生活もそのようになって、憧れの暮らし像が出来上がって来た今日この頃なのです。ちなみにSNSサイトで食事の写真ばかり投稿してる人は、精神的に不安定なのだそうです。ちゃんと食事をしている自分を記録に残して確認する事で、自分が充実した生活をしてる真っ当な人間であると暗示に掛ける、でないと不安になってしまう、そういう心理の表れなのだそうで、食は身体だけでなく精神にも多大な影響を与えるものなのでしょう。私は良く鰻の写真を投稿してしまいますが、それはただの趣味です。

 考えなさすぎるのも考えすぎるのも考えものだという話題から、無駄が多いのは美しくないという話に変わってしまいましたが、考えるということにはどうしたって多少無駄は付き物です。無駄を経てこそ辿り着く考えもきっとあるでしょう。だんだん上手に考えて、そのうち美しく考える人になれるよう、日々ほどほどに考えながら過ごしたいですね。すめらぎいやさか。