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やるのやらないのじゃないの

 「やるか、やらないか、そればっかりですね。」ーー午前中にラジオで流していた国会中継で、総理が呆れたように言いました。話題は議員定数削減を過去の審議で議論された通りにやるのかどうかといったような事でしたが、しかし恐らく総理が論点としたいのはそこではなく如何に適切に行うかということであって、それで冒頭のような発言があったわけですが、こういった事はよく起こることで、過去の事実を取り上げて、それを今も認めるのかどうか、同じ見解なのかどうかといったような質問をします。ところがその過去から現在では状況も変わっていたり内閣そのものが違ったりしていて、また本来議論されるべき論点から見て全くどうでも良い事だったりする場合、こうして質問をする代議士の目的と言うのは、相手を不誠実で過去の約束を守らない嘘つきのように言いたいだけなのです。国家国民にとって重要な課題をネタにしてただ人の悪口を言っていれば地元で褒めてもらえるのだろかと考えるとうんざりしてしまいます。ちなみに日割りの単純計算で安く見積もっても国会審議に掛かる血税は1分当たり約20万円らしいです。

 人はどうしても物事に白黒はっきり付けたがるものなのでしょうか。国会中継では「はっきり仰ってください!」などと怒鳴る声をよく聞きますが、物事はそんなに単純なものではないし、また単純なだけであってはならないはずです。最近の世界の主要な関心事のひとつとして数えられる難民の問題にしても日本国内では、受け入れるのか否か、と言ったことばかり語られているように思います。受け入れ賛成派の言うことは決まって人道主義的であってリスク面を考慮していないから平和ボケと揶揄される。一方、反対派は難民が実際に各地で起こした集団犯罪やテロを鑑みて、安全保障上の理由から断固として拒否を訴えますが、賛成派からは差別だと罵られる。つまりこのどちらもが「やるか、やらないか」で議論しているのがわかりますが、この議論に着地点が無いことは皆さんお察しの通りで、なんの結論も理念も目標も掲げないまま空論と化し、忘れられるのを待つばかりです。

 ところが忘れたくとも難民は存在し続けるものだとすると、この問題に一体どういった解決策が考えられるのか、考えてみるぐらいはしてみたいものです。例えば、そもそも難民そのものの増加を防いだり減少をさせる事はできないのでしょうか。現に安倍政権が行うシリア・イラク難民への経済支援では、8億ドルがどう使われてどういった成果が得られるのか、熱い関心と共に語られる場面にはほとんど出会いません。むしろ金銭的支援だけをして実際の受け入れをしないことが恰も非人道的であるかのような論調さえありますが、「受け入れるか否か」以外の選択肢を認めたがらない風潮は一体なんなのでしょうか。そもそもシリアからやってくる難民が日本で快適に過ごせるでしょうか。いくら日本が良い国だからって、シリア人はシリアに居たいに決まっています。難民にとって一番の幸せは、受け入れられる事ではなく、祖国に帰ることなのですから。そう考えると、難民の受け入れを強く求めるような人々というのは、親切で国際貢献意識の高い系な日本像を勝手に理想として掲げているだけで、シリア情勢や難民問題の本質などには一切興味が無いのだという事がよくわかります。

 難民を受け入れることも受け入れを拒否することもなくなる唯一の方法は、難民が存在しない世の中を作る事です。しかし難民が生まれる原因である内戦が石油に纏わる国家間の覇権争いによるものである以上、民間人の私達の努力で直ぐさまどうこうなる問題ではありませんが、例えば石油に変わる再生可能エネルギーや物質の開発ができたら、世の中の秩序に変化が生まれないとは限りません。資源の常識が変われば更に、広大な領土を有する事で多種多様な民族や思想を一国の中に持つ事はもはやリスクとしか考えられず、分裂を起こすなんて事もあるかも知れません。分裂して独立すれば独自通貨を持つかEUのような通貨統合で凌ぐ事になるのでしょうが、円の信頼性はますます強まって、小さな島国だと学校で教わったはずの日本が経済だけでなく制空海権や資源で突如巨大国家扱いされるかも知れませんよ。

 冗談はほどほどにするとしても、やるのやらないのと言った入り口でずっと無意味な議論をするのはまっぴらなので、こうやって現実逃避でもしてみたくなったのです。世の中の役に立たなかったら国際貢献とは呼べないのは当然としても、何が本当に世の中の役に立つのか考える事すらしないままに国際貢献セヨと単純に求めるのはやめて頂きたいですね。それは例えば、女性が輝く社会を!と言いながら、何を以ってして輝きと成すかがまずわからないという問題にも言える事なのですが、れはまたいつかの機会に…それでは、また。すめらぎいやさか。