シンプル不足

自宅のパソコンの前にしっかり座るのは久しぶりだ。この数ヶ月、本当に色々な事がありすぎて、安らぎやまどろみからはすっかり遠ざかっていた。昨日は数か月ぶりに旦那さんと休みの日程が合い、風が強かったけど晴天だったので少し長めの散歩をして、目に留まって気に入ったものを迷わず買い、趣味の合う店主の居る店でまだ明るいうちから飲み、夜は友人を交えてゆっくり食事をした。空が晴れているだけで、恵まれていると感じられるような一日だった。贅沢とはお金ではなく、「時間」や「空間」そして「人」なんだなあと改めて実感した。

私は物事をあまり深く考えないし、なるべく清潔な思考回路を保っていたいと思うので、心遣いはしても、余計な詮索はしない。あっさりし過ぎていると感じる人もいるかも知れない。それぐらい無駄を省いて、答えや目的への最短時間に挑戦したいと思っている。人生の時間は限られているのだから、あんまりにも悠長なことはやっていたくない。私の座右の銘は「自信があるから行動するのではなく、行動するから自信がつく」だ。これはつまり「才能があるからやるのではなく、やっていくうちに才能になる」という事と同じで、こうして字面で見るとこれ以上ないほどシンプルなロジックに思えるのに、実行するとなると中々難しいらしく、理屈をこねてやることもやらないうちから諦める人が、意外と多いように思う。そういう人は当然、いつまで経っても才能や自信に恵まれることはない。

シンプルに考え、シンプルに行動する事がどうしてそんなに難しいのだろうか。人生の過ごし方のような大きな意味ではなく、もっと身近な出来事に目を向けてみても、シンプルが不足している場面に出会う。物事の導線をしっかり捉えて、しかるべき時にしかるべき人へ要件を伝達をする事に、さほどテクニックは必要ないはずなのに、ああでもないこうでもないと、揉め事になってしまう。共通しているのは、①関わる人間が必要以上に多い、②責任の所在がはっきりしない、③コミュニケーション不足か情報過多のどちらか。この3つが揃うと必ずうまく行かない。しかもコミュニケーション不足はたいてい、メールをしたのに返事が来ない、だからきっとこういう意味かも知れない、などと勝手に想像を膨らませて、その自分が思う意味を踏まえて再びメールしたりするので、一層こじれる。電話一本すれば済む話だし、重要なメールだったら私は「さきほどメールしたので確認お願いします」と電話をする。他人がメールや電話の着信に気付くタイミングなど、謎でしかない。常識ではこうだろうと思っても、たまたま相手が常識では考えられないシチュエーションに居るかもしれない。そんな事はだーれにも分からない。わからない事をわかった気でいる事がまず大問題だ。②に関しては、日頃からルールを決めておけば良いだけなので、③に比べれば改善は楽だ。

①については、最近自分の職場で進行中の問題が頭をよぎる。ある人は、社内のあらゆる情報に常に誰でもどこからでもアクセスできて共有しておくと良いと考えている。最近のビジネスシーンでは常識かもしれないクラウドコンピューティングと言うやつでしょうか。確かに便利そうだし、かっこよさそうですが、私にはどうも面倒な気がしてならない。何が面倒かと言うとそれは、責任まで共有している気になるからだ。自分の担当の範囲に関しては自分がしっかり管理をする、他の人には触らせないし、触ってくれとも頼まない。不便な部分もあるかもしれないが、そうならないように工夫する。一方、いつでもどこでもどなたでも、と言う状況には、ある種の「甘え」が生じるのではないかと不安で仕方がない。便利と猫はいつだって、人を駄目にするのだから。なにか一つの案件に対して、知る必要のない範囲の人にまで公開する事に何か意味はあるのだろうか。全体のテーマやスキームを共有するのは当然としても、細かい部分に関しては、信頼し合って励まし合う以外に何もする事は無いように思う。とは言え、私はこの社内システムに関しては責任者ではないので、判断は任せるし、決まった通りに従うつもりだ。

 こうやって細かい話を書いている事自体がシンプル不足に思えてきた。楽曲と世界観に向き合って、言葉を捻り出すだけのシンプルな仕事、作詞に戻ろう。では。すめらぎいやさか。