日本の大学について思うこと

 私は高校で進路を決めようと言う段階になってはじめて、ちょっと真面目に勉強がしてみたいと思った。しかしそれまで全くやって来なかったので、私の偏差値ではまともな大学など受けられなかった。だけど、父のオフィスにバイトで来ていた某有名大学の学生たちの馬鹿らしさを私は良く知っていたので、受けるならそれよりも更に上のちゃんとしたところじゃないとダメだと思い込んだ。今では、同じ大学でも学部によってだいぶ違うだろうとも思うが、どちらにせよ私の偏差値ではとにかく問題にさえならなかった。

 そんな時、父が留学してみたらどうだと提案してくれて、一年間のTOEFL受験専門学校を経て、コミュニティカレッジに入った。学歴としてはなんの強みにもならないものだが、卒業するためには真面目に取り組まなくてはならなかったため、自ら望んだ通り真面目に勉強する日々を過ごすことができた。とても良い経験になった。

 とは言え学生生活では勉強以外にも色々する事があり、経営学部を卒業したのにミュージシャンとして帰国した私だったが、今は作詞家としてだけでなく、自分のこのジャンル分けが困難な良く分からない道のりをそれとなく活かせる仕事ができているし、これからも続けていけそうだと考えている。

 そしてやっぱり私は日本の大学に行かなくてよかったと思っている。今朝、東京新聞に掲載されたと言う山口二郎氏の最高傑作コラムを読んでつくづくそう思った。私は大学に行きたかったのではなく、勉強がしたかっただけだった。その事を高校生の時点できちんと見定めていたことを、自分を褒めてやりたい気分だ。

 ちゃんと勉強している人もいるというのに、大学に行っているやつなんか皆バカだと言われ始める日が来るかも知れない。東京大学の女装家やその他諸々の教授たち、慶応大学のレイプや電車のホームから彼女を突き落とす事件、多摩美術大学の学園祭の出し物での疑似葬式、日本大学の出典物による火事で児童が死亡する事件、大きな話題になった事だけでもこんなにすらすらと出てくるのはどうしたことか。末期ではないだろうか。

 義家先生に、より一層本気を出してもらうしかないなと思う反面、政治に期待してどうこうできるレベルをとうに超えている気もする。これからの日本が政治や経済で勝つ事ができたとしても、人間の中身がボロボロに腐って溶けている状態ではオカルトだ。それでも日本の四季折々の風景はとても美しく、その山紫水明に似合う人々を求めているのではないだろうか。情けなさと美しさが重なって、なんだか悲しくなってくる。大学なんかやめちまえ、山登りしろ。