人命至上主義への違和感

人命救助のため土俵に上がった女医に対して、降りろというアナウンスをしたことについて、相撲協会八角理事長が謝罪するに至った。世論は人命第一なのだから当然という向きばかりが見受けられるが、正直に告白すると、私は最初にこのニュースを目にした時、「女性が注意されるのは当然じゃないか、どうしようもないニュースだ」と思った。

人命が重要なことは言うまでもないが、常にどんな状況でも本当に第一であるべきなのかと問われたら、そうだと明言できる自信が私には無い。しかもこの場合、比較対象は神事における伝統であって、道端で倒れた人をどうするかという話ではない。

更に、最近すっかり批判の的となっている相撲協会だから、悪く言われやすい空気を既に持って(盛って)いる。現代の相撲の有様を見て、本当にこれが神事なんだなと感じられないという人がいることも理解はできる。しかし、「相撲協会」の問題とこの問題は、切り離して考えなければ、全体が一方向だけに流れていく、ちょっと気色の悪い世論形成に繋がる恐れがある。そう言うまでもなく、既にそうなっているように見える。

伝統というと、ただ古いだけの習慣と混同され勝ちなので、比べる対象を国益などに変えてみたら、もう少しわかりやすいかも知れない。一国の運命を左右する局面で、もし自分の命が危険に晒されていたとする。私の人命を優先してくれと思う人間がいるだろうか。

例えが大げさすぎると言う人がいるかも知れないが、伝統も国も、数えきれない過去の何百億かも分からない、人命の連鎖によって受け継がれているものだ。しかし、それがどんなに永く重たかろうが、過去の人命の積み重ねよりも、今ここに生きている人命のほうが、尊いに「決まっている」というのが、今回の大凡の意見だという事だ。

私には、本当にそうだろうか?という感想しか無い。勿論、人命が第一だと主張する人がいること自体は、構わない。人それぞれの立場や生業によって、ことの捉え方が変わるのは当然だろう。であるならば、私のように、そうは思わないと感じる人がいても構わないはずだ。ところが世論を見渡すと、人命、人命、人命の礼賛に溢れかえっている。この状況が私には、とても異常な思想空間に思えて仕方がないのだ。

人命が大切だというのは、大変重要な事実でもあるが、それにもかかわらず、言葉としてあまりにも無思考で、無責任に、紋切り型の振り回され方をされている気がしてならない。そんなことは分かっている。だが、他に言うことは、考えることはないのだろうかという問いが、私の違和感の原因だ。重要なことを、イージーに語りすぎて、語った言葉が音として消える頃には、もう次のことに目が行って、人命の本当の重要さについてなんて、医者でもやっている人でなければ、ほとんど実際は考えちゃいないのではないかと疑いたくなってしまう。この件についてはとにかく「人命第一だ」と言っておけば、絶対に火傷することのない、安全が保証された意見として堂々していてよいという事になっている。

ただ私は、この一件に批判すべき点が無いと言っているのではない。私が思うに、今回批判すべきは、何故男性の医師を用意しておかなかったのかという点に尽きる。土俵に女性が上がれないのは、相撲の世界では分かりきった事なのだから、もしもの時のために男性の医師を置いておくのが当たり前ではないのか。謝罪のポイントはそこに置くべきだし、改善策が既にそこにある。それだけで済む話ではないか。

また、相撲協会としては、その準備不足を詫びることはいくらでもするべきだが、伝統を守ろうとしたことを謝ってしまっては、これから先、相撲の伝統も文化も守る気が無いと言っているのに等しい。相撲が時代の風潮などによってルールやしきたりを如何様にでも変えて、そのうち芸術点なども加算されるようになって、コスチュームが古風なだけのスポーツになってしまっても構わないと言うのか。どんなに世間から批判されようが、相撲協会は頑として相撲の伝統を守るという姿勢を見せないでどうするのだ。

長くなったのでそろそろ終わる。日本には様々な伝統がある。神様も八百万だ。私自身は、自分の命がそれらよりも重要だとは、これっぽっちも思えない。人当たりが悪くなるので、自分の命と言っているが、今存在する殆どの誰に変えても答えは変わらないかも知れない。幼少期に一旦死に目を見た私だから、人一倍この命を有り難いと思っているほうだという自負はあるが、命の価値とか重さというのは、科学ではなく、精神が決着を付けるものだと考えている。

あまりにも一辺倒の意見にしか出会わなかったもので、つい言いたいことを言った。気に入らないと思う人が大勢いるでしょうが、まあ色んな人がいるんだなと思って水に流して下さいな。